「巡礼者の小道」は以前、健全で優良なクリスチャン・ブログでした。

 しかし、近ごろは迷走しているようです。
 
 ブログ筆者はプロテスタントの「聖書のみ」の原理を否定し、カトリックの教理を受け入れようとしています(事例)。
 
 私ダビデは、第二正典は「聖書」のうちに入るの?という問い掛けの答えが「いいえ、入りません」であることを明示しようと思います。
 
 この論考の筆者であるデヴィン・ローズ氏は、論考の結論部分で次のように述べています。
 

プロテスタントのジレンマ
 
もしもプロテスタンティズムが正しいのだとしたら・・・
 
1500年もの間、キリスト教会全体は--神が霊感せず、完全に使い捨て可能にして、おそらくは誤りを含んだ7巻を含む旧約聖書を使い続けてきたということになります。
 
神は、初代教会がそれらの諸書を聖書として指定し、しかもそれらの書の内容から煉獄といった偽りの諸教理を引き出すことをお許しになりました。そしてついに、神の選んだ改革者であるマルティン・ルターがこういった悲劇的誤りを‟正す”ことに成功しました。--新約聖書に対する彼の似たような省略の試みは誤りであったのにもかかわらず、、です。
 
 
 上記の「おそらくは誤りを含んだ7巻を含む旧約聖書」とは、七十人訳聖書を指しています。
 
 主イエスや新約聖書の筆者は、確かに七十人訳から多くの引用をしていました。
 
 しかし、だからといって、主イエスや新約聖書の筆者たちが第二正典(外典と偽典)を正典として認めていたことにはなりません。

 実際はその逆です。
 
「新聖書辞典」(いのちのことば社)P719P722聖書の正典(旧約)より抜粋し、外典や偽典を正典とすることが誤りであることを以下に示します。
 
 
●ショートバージョン
 
 まずは短い抜粋を先に記した後、ページを少し遡って詳細な説明を付け加えようと思います。
 
「旧約聖書39巻」の後に(24巻)とつきますが、これについては後述しますので、とりあえす読み進んでください。 
 
「新聖書辞典」P722の「正典と外典」というセクションに、次のように書かれています。
 
 最後になぜプロテスタント教会が外典を正典として認めないかということについて簡単にふれておく必要があるだろう。
 
 プロテスタント教会が現在の旧約聖書39巻(24巻)だけを正典として認めるのは、第1に外典は教理的に多くの誤謬を含んでいるということによる。
 
 しかしそれよりももっと大切なことは、聖典はもともと39巻(24巻)だけがユダヤ人によって認められていたという歴史的事実による。
 
 また、主イエスと弟子たちは正典以外のものを決して用いなかった。
 
①前述したように、ヨセフォスは『アピオン反駁論』の中で正典は22巻(24巻と同じ)だけに限ると明言している。
 
②フィロンはディアスポラのユダヤ人であり、広範囲にわたる著述を残しているが、彼はその著述の中で旧約外典を聖書として決して用いていない。
 
③これよりももとっと重要な事実は主イエスは、律法、預言者、諸書からな何回となく引用されているにもかかわらず、外典からはただの1度も引用されなかったということである。
 
④そしてこのことは新約聖書の著者たちにとついても言えることである。使徒パウロもペテロもルカも70人訳聖書を自由に用いたにもかかわらず、外典からは何も語っていない。
 
⑤古代教会の証言もこれと一致する。サルデスのメリト(180年頃)の記した正典リストの中には外典は含まれていない。オリゲネスの正典リストもヘブル語正典のリストであった。カトリックにとっては権威ある聖書と言われるウルガタ訳の著者ヒエロニムスは「ヘブル語正典の文書のみが聖典的なもので他は外典的なものである」とはっきり述べている。
 
 このように現在私たちが持っている39巻(24巻)の旧約聖書だけが正典であり、これに新約聖書27巻を加えて66巻の正典としての聖書を、神が私たちに与えたのである。

                               (強調はダビデ)
 
●旧約正典の構造と範囲(P719

 上記によって、旧約聖書39巻だけが聖典であることは明白ですが、さらに知りたい方は以下をお読みください。
 
 日本語訳聖書の書名の配列は次のような4区分法をとっている。律法(創、出、レビ、民、申)、歴史書(ヨシ、士、ルツ、Ⅰ・Ⅱサム、Ⅰ・Ⅱ列、Ⅰ・Ⅱ歴、エズ、ネヘ、エス)、文学書(ヨブ、詩、箴、伝、雅)、預言者(イザ、エレ、哀、エゼ、ダニ、ホセ、ヨエ、アモ、オバ、ヨナ、ミカ、ナホ、ハバ、ゼパ、ハガ、ゼカ、マラ)以上39巻である。
 
…これに対して現行ヘブル語の旧約聖書は次のような3区分法をとっている。①律法(創、出、レビ、民、申)5巻、②預言者 a.前預言者(良し、士、サム、列)4巻、b.後預言者(イザ、エレ、エゼ、12預言者)4巻の計8巻、③諸書、a.真理(詩、箴、ヨブ)または(詩、ヨブ、箴)3巻、b.巻物(雅、ルツ、哀、伝、エス)5巻、c.歴史(ダニ、エズ、ネヘ、歴)3巻、計11巻、合計24巻。サム、列、歴、エズ、ネヘ、12預言者をヘブル語聖書はそれぞれ1巻として数えるためにこのようになるが、内容は現行の旧約聖書と同じである。 
 
(中略)
 
 旧約聖書は中間時代から新約時代にかけておもに2区分または3区分法によって呼ばれていた。…しかしいずれの場合も、聖書の内容は同一である。ヨセフォスは『アピオン反駁論』の中で次のように記している。「なぜかというと、、われわれのあいだでは、互いに一致せず矛盾する無数の書物の群れなどはなく、ただ22巻の書だけがあるからだ。これは、すべての過去の時代の記録を含んでおり、正しくも神的なものと信じられている。」こう記した後、モーセが5巻、預言者たちが13巻、残りの諸は4巻であるとしている、ここで22巻というのはルツ記が士師記に、哀歌がエレミヤ書に含まれており、24巻と本質的に同一である
                                                                      (強調はダビデ) 
 
●正典性の決定
 
(旧約聖書の内容は、)400年から遅くとも前200年頃までには現在の形の正典の収集ができあがっていたと考えて差し支えないだろう。P721
 
(中略)
 
 聖書は人間や教会会議によって正典とされたのではない。教会会議は、聖書の書物の1頁でも正典性を付与したわけではない。彼らがしたことは、その書が書き記された時以来正典であり、霊感を受けてきたものを認めただけなのである。そして私たちの主イエス・キリストはこれらの正典がすべて神からのものであることを認めたのである(マタイ51718、ルカ2444、ヨハ103136)。P722
 
 
●まとめ
 
 はっきり知っておくべきなのは、主イエスが第二正典(外典や偽典)からはまったく引用しなかったということです。
 
 パウロをはじめとする新約聖書の筆者らも、一つの例外を除き、第二正典からはまったく引用していません。
 
 これに加え、ヨセフォスなどの歴史家による資料も、外典や偽典が正典に含まれないことを報告しています。
 
 よって、『第二正典は「聖書」のうちに入るの?』という問いに対する答えは、「いいえ、入りません」です。
 
 ローズ氏の結論とは裏腹に、マルティン・ルターは実際に、外典や偽典を聖書のうちに入れるという悲劇的誤りを正すことに成功したのです。
 
 終わり

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*唯一の例外とは、ユダの手紙11415に見られる第一エノク19からの引用。第一エノク(またはエノク)は偽典の一つで、七十人訳に含まれる。ただし、第一エノクを正典としているのはエチオピア正教会のみで、カトリックも他の正教会も認めていない。
                            (参照:七十人訳聖書