ダビデの日記

自分が学んだ聖書の教えに関するブログ

2015年08月


 
訳注・・・英語の「主」「神」「イエス」に当たる言葉は、通常、大文字で始まりLordGodJesusと書きます。しかしこの証の筆者は、あえて小文字を使いlordgodjesusと書いています。ベテル教会で体験した神は本物ではない、という意思の表れです。しかし日本語ではそのような表現ができないため、カギ括弧でくくり、「主」「神」「イエス」としました。
 
 
隠れた危険 ~極端なペンテコステ主義から解放された妻~
 
 私は何ヶ月間もベテル教会の教えと、ジーザス・カルチャーの音楽に浸りました。
 
「ソーキング」と呼ばれるものをやり始めました。ソーキングとは、カジュアルなワーシップソングを聞きながら、自分の霊と思いを「主」に対して開く行為です。私は聖書を読むことをやめました。なぜかというと、神から新しい啓示を受けたかったからです。(リック・ジョイナーの本でも読みましたが)私は数多くの説教の中で、新しい啓示が聖書に取って代ったと聞いていました。聖書だけを読む人は「言葉の人」と呼ばれていました。言葉の人は、「神」の新しい霊の働きに対抗することになる、というのです。新しい霊の働きのほうが、聖書に書かれていることよりも重視されていました。それで私は聖書通読をやめ、ソーキングを受け入れました。
 
 私は神と出会いたいと思いました。何か劇的なこと、わくわくするようなことが起こることを期待しました。ソーキングのあいだ私は静かに座り、「臨在」と呼ばれているものに対して心と思いを開きました。自分のうちにある、暖かくてぼんやりとしたものに意識を集中するのです。そうしているうちに、その感覚(暖かくてぼんやりしたもの)がだんだん大きくなっていきました。恍惚状態に近いこの感覚は、ほしいときにはいつでも持てるようになりました。そのうち私は「ソーキングの祈り」をするようになり、いつもの感覚が短時間で自分を覆うようになりました。これをやっていると、「イエス」の愛の中にいるような感覚でした。「イエス」はもはや権威者ではなく、王座に座った「主」でもなく、単に私が愛するお方でした。私を心地よくしてくださるお方、自分は他の人よりも優れていると思わせてくれるお方、になったのです。この感覚はとても気持ちがいいため、もっと求めるようになりました。
 
 私のすべてが変わり始めました。実のところ、自分が思っていたよりももっと変わりつつありました。悪い意味でです。
 
 ベテル教会の教えに入れ込めば入れ込むほど、「自分たちは正しい」という情熱に燃えるようになりました。逆に、聖書に従っている人たちは間違っている、と思うようになりました。この思いは、主人との対立のもとになりました。夫は神の御言葉を熱心に学ぶ人で、物静かで謙遜な人柄です。ですから私が夢中になっているものを、夫は受け入れようとしませんでした。私はそういう夫の姿に腹を立て、この人はもう駄目だと思いました。私としては、私と同じように霊的なことにもっと心を開き、情熱的になってほしかったのです。そのころの私の目標は、お金を貯めてベテル教会のカンファランスに行くことでした。カンファランスに出れば、特別な油注ぎが受けられると思ったのです。そんな私は、自分の実生活がだんだん嫌になっていきました。余りにも平凡でつまらなく、目に見える形では神に対して情熱的ではなかったからです。私は油注ぎを求めました。金粉や宝石が天から降ってくるのを見られたらいいなあと思っていました(注)。私は預言者のような歩みがしたかったのです。
 
注・・・ベテル教会では、神の臨在のしるしとして、集会中に会場の上のほうから金色の粉が舞い降りてきたり、床の上に金色の粒や宝石が現れるという現象が起きています。
 
 
 お気づきかと思いますが、すでに私の意識は「自分」に向いていました。
 
 私は新しい油注ぎを求めました。もっと祝福されたいと思いました。人生のすべてを投げ出してでも、こういう教会の一員になりたいと思ったのです。夫が家族を連れて、(ベテル教会がある)レディングに引っ越してくれたらいいのに、とすら思いました。そうすれば、神の新しい働きに加わることがきるからです。私が求めていたのは、ただ自分の中にある願いがかなえられて、いい思いをすることだけでした。愛されていると感じさせてくれるあの感覚。自分は「イエス」に熱心なのだ思わせてくれるあの感覚。私は自分にいい思いをさせてくれるあの感覚を慕い求め、もっとほしくなりました。誰にも私の邪魔はさせない。私は正しいことをしてるのよ!私は騒がしくて攻撃的な女になりました。極度に短気になり、利己的な野心に囚われていました。
 
 私は自分を見失っていました。もはや家庭のためには時間を使わなくなり、私が必要とするのは、あれもこれも自分にとって重要なものだけでした。私に素晴らしい変化が起きているのに、それをわかってくれない夫が私には理解できませんでした。私はジーザス・カルチャーを聞きながら、ソーキングすることを望みました。時がたつにつれ、私は夫に対してどんどん荒っぽい態度をとるようになりました。彼に対していらだつようになり、夫の信仰生活を完全にさげすむようになりました。彼も油注ぎを受けて、偉大な神の人になればいいのに、と思いました。夫よりも霊的に優れた状態にあった私は、彼の聖書研究は時間の無駄だと思っていました。
 
 ところがある日、私は自分の聖書を手に取り、それを読んでみました。すると自分が体験していることが、聖書とずいぶん違っていることに気づきました。私は聖書をとおして、静かな細い声が語り掛けてくるのがわかりました。この感覚は、いつしかとてもかけ離れたものとなっていました。それにはわくわくするような感じはなく、ソーキングで体験していた騒がしいものとも違っていました。私は自分の頭の中で、なぜこの静かで柔らかな声は、自分の体験とこんなにも違うのだろうかと心にひっかりました。
 
このあと、私を完全に目覚めさせる出来事が起こります。
 
 私は教会の集会で、この証のパート1に登場した女性とおしゃべりし始めました。私たちは海外で起きている驚くような油注ぎや霊的現象について、いろいろ話し始めました。金色の粉が降ってきたとか、それが服についたとか、宝石のことなどです。自分たちの教会でもそういうことが起きてほしいと思いました。そういう現象が起きているカンファランスに早く参加して、そういうものを受け取りたいねと話ていました。
 
 そのときです。彼女は、驚くような油注ぎを持つ「神」の人について話し始めました。その人は、「神」の栄光を受けたのだそうです。名前はジョシュア・ミルズでした。彼のカンファランスでは、この証で語ってきたあらゆる現象が起きていました。彼女は言いました。その人は「神」の栄光をとても強く受けているので、その油注ぎのしるしとして、体から油がしたたり落ちるというのです。彼女は話しながら興奮していました。ところが私は、この話を聞くや否や、何かおかしいと思いました。実のことろ、その現象には大きな問題がありました。
 
 この話を聞いたとたん、私はとても不快になりました。私はカトリックの家庭に生まれ育ちました。新生したクリスチャンになる前のことです。でも信じたあと、神は私の目をはっきりと開いてくださり、そのカトリック教会がサタン的な影響を受けていることをわからせてくださいました。その教会は「マリア」の訪れを何度も体験しており、そこにも「油注ぎ」を受けた人たちがいました。体から油がしたたり落ちたり、体に聖痕が現れたりしていたのです(注)。ですから友人がジョシュア・ミルズの話をして、「神」の栄光のしるしとして彼の体から油がしたたり落ちるということを聞いたとき、私はピンときました!
 
注・・・聖痕とは、カトリックの聖人の体に十字架の傷などが現れる現象。
 
 帰宅するや否や、ジョシュア・ミルズを検索し始め、油がしたたり落ちる現象について調べました。イライジャ・リストといって、特別な「預言者たち」を紹介しているサイトにジョシュア・ミルズも出ていました。イライジャ・リストには、他にもビル・ジョンソン、キム・クレメンツ、ロブ・デ・ルカ、ランディー・クラーク、シンディー・ジェイコブス、リック・ジョイナー、トッド・ベントリー、パトリシア・キング、ロドニー・ハワードブラウン、ジョン・アーノットとキャロル夫人、などが紹介されています。ジョシュア・ミルズは、カンファランスやセミナー(参加費は法外な金額です)を開催していました。ミルズはセミナーを開き、参加者たちが特別な油注ぎを受けて、それを自教会に持ち帰れるようにしていました。案の定、友人が言っていたように、ジョシュア・ミルズの皮膚からは油が染み出てくることがわかりました。「神」の栄光を受けたしるしだそうです。悪辣なことに、彼はしたたり落ちる油を布きれにしみ込ませて、それを販売していました。布きれを購入すれば、それを通して特別な油注ぎが受けられるというのです。
 
 突如として私は、自分はこんなことに夢中になっていたのかと、我に返ったのでした。
 
つづく
 
引用サイト:クロスワイズ ~真理の中を歩む~



 「天が地に侵入するとき」の8章で、ビル・ジョンソンは自身の全存在を掛けて追い求めていたものが何であるかを明かしています。
 
 しかしもしペテロがこんにちでも生きていたら、ビル・ジョンソンに対して、「あなたの心は神の前に正しくない」と叱責するかもしれません。
 
 この記事では、その理由を説明します。
 
 
In 1987 I attended one of John Wimber's conferences on signs and wonders in Anaheim, California. I left discouraged. Everything that was taught, including many of the illustrations, I had taught. The reason for my discouragement was the fact that they had fruit for what they believed. All I had was good doctrine.
 
 1987年、私はカリフォルニア州アナハイムで行われた、ジョン・ウインバーのしるしと不思議のカンファランスに参加しました。しかし私は落胆して会場を出ました。そこで教えられたあらゆること―実例による説明も含めて―は、私も教えていたことだったからです。私が落胆した理由は、彼らは自分たちが信じていることの実も結んでいましたが、私には教えしかなかったからです。(中略)
 
Things changed immediately We prayed for people and saw miracles. It was glorious, but it didn't take long to discover that there were many also that weren't healed. Discouragement set in, and the pursuit with risks decreased.
 
 状況は急展開し、私たちが人々のために祈ると、奇蹟が起こるようになりました。それは栄光に満ちた光景でした。しかし間もなく気づかされたのは、癒やされない人も大勢いることでした。落胆しました。そしてリスクを負ってでも(奇蹟を)追及しようという思いが減退しました。
 
On my first trip to Toronto in March of 1995, I promised God if He would touch me again, I would never back off. I would never again change the subject. My promise meant that I would make the outpouring of the Holy Spirit, with the full manifestations of His giftsthe sole purpose for my existence. And I would never stray from that callno matter what! He touched me, and I have pursued without fail. (原本P84~P85より抜粋)
 
 19953月にトロントを訪れる旅の中で、私は神に約束しました。「もしあなたが再び私に触れてくださるなら、私は二度と後戻りはしません。私は二度と目標を変えません」と。私の約束の意味が何かというと、聖霊の注ぎ掛けを起こすことです。聖霊の賜物が完全な形で現されることです。私の全存在は、そのことのためにあるのですから。私は二度と召しから逸れたりしません。どんなことがあってもです!神は私に触れてくださいました。それ以来私は、失敗を犯すことなく追い求めているのです。
 
 
●魔術師シモン
 
 ビル・ジョンソンの証を読むと、なんだかカッコイイですよね。
 
 しかし以下の箇所を読むと、彼のようなクリスチャンは、ペテロに叱責される可能性が高いことがわかります。 
 
使徒81221
12 しかし、ピリポが神の国とイエス・キリストの御名について宣べるのを信じた彼らは、男も女もバプテスマを受けた。
13 シモン自身も信じて、バプテスマを受け、いつもピリポについていた。そして、しるしとすばらしい奇蹟が行なわれるのを見て、驚いていた。
14 さて、エルサレムにいる使徒たちは、サマリヤの人々が神のことばを受け入れたと聞いて、ペテロとヨハネを彼らのところへ遣わした。
15 ふたりは下って行って、人々が聖霊を受けるように祈った。
16 彼らは主イエスの御名によってバプテスマを受けていただけで、聖霊がまだだれにも下っておられなかったからである。
17 ふたりが彼らの上に手を置くと、彼らは聖霊を受けた。
18 使徒たちが手を置くと聖霊が与えられるのを見たシモンは、使徒たちのところに金を持って来て、 
19 「私が手を置いた者がだれでも聖霊を受けられるように、この権威を私にも下さい。」と言った。
20 ペテロは彼に向かって言った。「あなたの金は、あなたとともに滅びるがよい。あなたは金で神の賜物を手に入れようと思っているからです。
21 あなたは、このことについては何の関係もないし、それにあずかることもできません。あなたの心が神の前に正しくないからです。
 
 
●説明
 
 ピリポによる力の伝道を通して、魔術師シモンも「信じて、バプテスマを受け、いつもピリポについていた」とあります。
 
 このようにシモンは、イエスの御名を信じ、洗礼も受けていました。
 
 ところが彼の心は、しるしと不思議を求める思いで一杯でした。
 
 それで彼は、「いつもピリポについていた」のです。
 
 「ついていた」と訳されているギリシャ語はプロスカテレオーという動詞で、
 
 「誰かを支持する」「誰かの支持者になる」という意味です(注)。
 
 魔術師シモンは、しるしと不思議を行う伝道者に憧れ、信奉していたということです。
 
 ところがシモンは、ペテロとヨハネが来て聖霊の注ぎ掛けが起きると、こんどは使徒たちに与えられていた霊的「権威」が欲しくなりました。
 
私が手を置いた者がだれでも聖霊を受けられるように、この権威を私にも下さい。」
 
 この精神は、リバイバリストを招いて行われる○○聖会とか○○カンファランスに行く人たちと似てませんか?
 
 こういう動機で聖会に参加するため、東奔西走している人はいませんか。
 
 残念なことにシモンは、「あなたの心が神の前に正しくない」と叱責されました。
 
 

●まとめ
 
 このように聖書は、しるしや不思議のわざのゆえに特定の働き人を信奉したり、聖霊の注ぎ掛けを行うことを目的に、霊的権威を欲することは正しくないと教えています。
 
 ですからビル・ジョンソンが、ペテロに叱責される可能性は大いにあるのです。
 
 しかしもっと残念なことは、このシモンと同じようなクリスチャンが、日本のカリスマ・ペンテコステ派の中に大勢いそうだということです。
 
 私は超自然的な神のわざ自体を否定するつもりはさらさらありません。
 
 聖書には「御霊を消してはなりません」とありますし(第一テサロニケ519)、自分自身、癒やしや不思議なわざを行った経験があるからです。
 
 しかし、しるしと不思議ばかり語ること、そういうことばかりを求めることは、本来あるべき霊的状態からズレているのではないでしょうか。
 
 仮に何らかの方法で使徒ペテロに会う機会が与えられたとしても、そのとき「あなたの心が神の前に正しくない」と言われないようにしたいものです。
 
 もしそのような状態にある兄弟姉妹がいるなら、霊の目が覚まされますようにと祈ります。

 
 


 これは、ベテル教会(主任牧師:ビル・ジョンソン)の影響下で霊的誤りに陥り、後に解放された人の証です。非聖書的な教えを実践することによって起こる、危険な現象、書籍や説教では語られないベテル教会の実態の証です。
 
引用サイト:クロスワイズ ~真理の中を歩む~
 
 
訳注・・・証の投稿者はご主人ですが、証をしているのは投稿者の奥さまです。
 
 
危険な旅 ~極端なペンテコステ主義から解放された妻~
 
 2010年のはじめ、私はもっと情熱的な「キリスト教」を知りたい思いました。自分は礼拝者だとずっと自認してきましたし、主を礼拝することを実践している人々と親しくなりたいと思っていました。
 
 私たちの教会は、何が何でもリバイバルを引き起こそうとしていました。それで私は、ある日帰宅したとき、「リバイバル」とはどういうもので、どうすれば手に入るのかを調べることにしました。私はウエールズのリバイバルや、チャールズ・フィニーなどについて調べました。
 
 私は自分の教会でも「リバイバル」が起きてほしいて思いました。ウエールズで起きた驚くような出来事について、読めば読むほど自分の教会でも同じことが起きてほしいと思いました。
 
 教会のメンバーのひとりが、ブラウンズビル・リバイバル(ペンサコーラ・リバイバル)にかかわったことがありました。彼女はそこで起きたリバイバルや、自分が受けた油注ぎについていろいろ話してくれました。祈ってもらいに行くと、毎回体が震えて床に倒れたそうです。
 
 興味をそそられた私は、ブラウンズビル・リバイバルに関する情報を集めました。ブラウンズビルのリバイバルでもトロント・ブレッシングと同じような聖霊の現れがありました。ブラウンズビル・リバイバルの後にはレイクランド・リバイバルが起きていました。
 
 はじめ私はとても警戒していました。自分が知っている聖書の神とは一致しないように思えたし、それらのリバイバルで起きている事柄を裏付ける聖書箇所が見当たらなかったからです。それでも私は、どうしようもなく神を感じたかったし、情熱的なクリスチャンに仲間入りしたかったのです。私はリバイバルの中には、情熱的な人たちがいるに違いないと思いました。預言の働きを含めて、霊的現象のいくつかは好奇心を駆り立てるものでした。それで私は、それにはまっていきました。
 
 当初は警戒心や不安な思いがあったにもかかわらず、私は極端に預言者的な人たちが、疑い深い人たちに向けて語る回答に耳を傾けるようになりました。
 
以下は彼らの回答例です。
 
んにち神は、新しいことを啓示しているのです。
 
*こんにち神は、より現代に適した方法でこの世に働いているのです。
 
*リバイバルで起きていることが、神のものでないはずがありません。人々は教会という安全地帯の中で主に歌い、賛美しているではありませんか。
 
*ダビデが道すがら踊っていたとき、人々は気違いじみていると思ったではありませんか。でもダビデは、主の御心を慕い求めた人物でした。霊的な現象もダビデの踊りと同じで秩序に反した行為ですが、神のものなのです。
 
*ペンテコステの日に誕生した教会にも、まったく同様の霊的現象がありました。例えば、酔ったような行動です。あれは嘲笑する人たちが、弟子たちは酔ったふりをしていると思ったのです。ですから初代教会には酔ったような霊的現象があったに違いありません。
 
*ビル・ジョンソンは、物静かな口調で語る紳士ではありませんか。彼は神の人に違いありません。
 
*いろいろな所から人々が群れをなしてこれらの教会に集まっているのですから、良い教会に決まっています。
 
*終わりの日には、神の霊が民の上に注ぐのです。今起きているのが、まさにそれです。
 
*聖霊を裁いてもよいのでしょうか。もし聖霊の名によって何かが起こっているのなら、それをしているのは聖霊に違いありません。
 
*それらの霊的現象が神のものでないと考える人たちは、パリサイ人です。(だから聖書に書かれていない事柄が起きているのを受け入れられないのです。)
 
*これらの霊的現象が神のものではないと考える人たちは、主からの特別な油注ぎを受けそこなっているのです。
 
 
 私はこれらの回答に説得され、はまっていきました。熱狂的な礼拝者たちと一緒にいたいと思うようになりました。それに、パリサイ人と呼ばれるのは嫌でした。彼らに仲間入りすることは、刺激的に見えたのです。
 
 こうして極端なペンテコステ主義やビル・ジョンソンの教え、ベテル教会、ジーザス・カルチャー(注)の音楽への旅が始まりましたが、この旅路がどれほど危険なものか、私には知る由もありませんでした。(強調は筆写)
 
 
注・・・ジーサズ・カルチャーとは、ベテル教会のメンバーで構成される現代的なワーシップバンド
 

つづく

 



 
 ウイリアム・ブラナムの記事を書いて、私が感じたことを書かせてください。

 当時、ブラナムの名は、そのしるしと不思議のゆえに世界を揺るがした、と言われています。
 
 しかしその後、彼がどうなったかを見るときに思わされるのは、

 しるしと不思議が行えるからといって、その人が神の人であることの証明にはならない、
 
 夢や幻を頻繁に見るからといって、それが神によるものとは断定できない、
 
 霊的存在の訪問を受けても、それが神から遣わされたものとは限らない、
 
ということです。
 
 
彼らは幻を見たことに安住して、肉の思いによっていたずらに誇り、かしらに堅く結びつくことをしません。(コロサイ21819
 
 
 パウロの時代にも、にせ教師、にせ預言者がいました。
 
 彼らには幻が与えられましたが、彼らの問題点は「かしらに堅く結びつくこと」をしなかったことです。
 
 また彼らの教えは神のものではありませんでした。
 
 しるしと不思議が伴っても、あるいは幻や夢が与えられたとしても、

 その人の語ることが正しいとは限らないということです。
 
 超自然的なわざと、教えはわけて考えるべきです。
 
 あたりを見回せば、現代もこの原則はまったく同じではありませんか。
 

 次回の記事では、

 ベテル教会で霊的惑わしを実体験し、それから解放された人の証をお伝えします。

 


 その3では、神の啓示という神聖な領域をけがした人物の霊的雰囲気と教えの内容を見ました。この記事では、ブラナムの問題点と死について述べます。
 
 
●ブラナムの問題点
 
 ブラナムの問題点について、リック・ジョイナーに説明していもらいましょう。
 
 ジョイナーと言えば、カリスマ・ペンテコステ派では有名人。特にリバイバル系の方々にとっては権威として信奉されています。
 
 
預言は教義を確立したり、変更したりすることには決して用いられません。カルトや分派がどのように始まったかを調べてみると、その多くは、ある人が預言的啓示を用いて新しい教義を確立しようとしたことに端を発していることがわかります。教義は書かれた御ことばだけが入れる領域です。真の預言がそのために用いられることは決してありません。
 
多くの人がウイリアム・ブラナムも同じ過ちを犯してしまったと考えています。彼は著しい預言の賜物を持っていて、ある一時期、世界を揺り動かしました。しかし彼はやがて奇妙なことや人びとの益にならないことを教え始めました。私は彼と親しかった人たちから聞いたのですが、彼のミニストリーのマネージャーが自分が信じていた極端な教えを推進するためにブラナムを利用したということです。ブラナムも後になってそれに気付き、深く悔いたそうです。ブラナムをよく知っていた人たちはすべて、彼が本当に謙虚で人の意見を素直に聞く人であったと言っています。それは彼が初代教会以来であろうと思われるような多くの奇蹟を行っていた最中でもそうだったということです。これは惑わしに関するもう一つのよい教訓です。(中略)
 
私たちはいくら謙虚と言っても、聞いたことが真理かどうかを調べないほど謙虚であってはなりません。特に自分がそれを教えるならばしっかりと調べなければなりません。教会や同様のミニストリーをしていた多くの人たちが、ブラナムが教えていたことの幾つかに対して異議を表明しました。又、彼らはブラナムを異常に崇拝していた人たちに対してもその間違いを指摘しました。ブラナムをよく知っていた人たちはこの点でも彼が悔いていたと言っています。彼は自分が車の事故で火に包まれて死ぬことを正確に預言しました。そして、それは多くの人たちが彼を崇拝し始めたので、自分がどれほど唯の人間に過ぎないかを主が世に示すためであると言いました。(強調はダビデ)
 
 
 
●ブラナムの死
 
 19651218日、クリスマス休暇のために、ブラナムは家族を連れてアリゾナのツーソンからインディアナのジェファーソンビルに向かっていました。夕暮れ時、テキサス州フリオナの約5キロ東で、東に向かう車線を逆走してきた車がブラナムの車に正面衝突しました。ブラナムは、テキサス州アマリロの病院に運ばれましたが、怪我のためクリスマスイブに息を引き取りました。
 
 ゴードン・リンゼイは弔辞の中で、ブラナムの死は神の意志であったと述べました。それはケネス・ヘーゲンの解き明かしを個人的に受け入れて発言したものでした。ケネス・ヘーゲンはブラナムの事故死の2年前に、彼の死を予告していました。ヘーゲンによると、ブラナムは間違った教理を教えており、ブラナムの不従順のゆえに神が彼を取り除く、という啓示がありました。
 
 
 
●いばらやあざみ
 
 私はブラナムに関して思うとき、以下の箇所が思い出されます。
 
へブル6:4~8
一度光を受けて天からの賜物の味を知り、聖霊にあずかる者となり、
 
神のすばらしいみことばと、後にやがて来る世の力とを味わったうえで、かも堕落してしまうならば、
 
そういう人々をもう一度悔い改めに立ち返らせることはできません。
 
彼らは、自分で神の子をもう一度十字架にかけて、恥辱を与える人たちだからです。
 
土地は、その上にしばしば降る雨を吸い込んで、これを耕す人たちのために有用な作物を生じるなら、神の祝福にあずかります。
 
しかし、いばらやあざみなどを生えさせるなら、無用なものであって、
 
やがてのろいを受け、ついには焼かれてしまいます。
 
 
●まとめ
 
 イエスの異父兄弟ユダは、誰かが伝統的な教えを歪めようとするなら、戦いなさいと言っています。
 
 
聖徒にひとたび伝えられた信仰のために戦うよう、あなたがたに勧める手紙を書く必要が生じました。(ユダ3節)
 
 
 特定の人物にどれほどしるしと不思議が伴ったとしても、それはその人の教えが神から来ていることの証明にはなりません。
 
 神の啓示はすでに聖書という形で完成しているからです。
 
 こんにちのしるしと不思議は、イエスや初代の使徒たちに伴ったしるしや不思議とは意味が違います。
 
 もはや教えの是非を証明するための、神による太鼓判ではないのです。
 
 ほんとうの神の教えかどうかを判断する基準はただ一つしかありません。聖書です。
 
 ブラナムは聖霊による新しい啓示の名のもとに、聖書の教えを変更しました。
 
 誰であろうと、聖書という神聖な領域に立ち入り、その教えに混乱をもたらすとき、たとえそれが無知のゆえであったとしても、その刈り取りをすることになるのです。
 
 神は聖なる方だからです。
 
 
思い違いをしてはいけません。神は侮られるような方ではありません。人は種を蒔けば、その刈り取りもすることになりますガラテヤ67
 
 
わたしは、むなしい幻を見、まやかしの占いをしている預言者どもに手を下す。彼らはわたしの民の交わりに加えられず、イスラエルの家の籍にも入れられない。エゼキエル13:9




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