ダビデの日記

自分が学んだ聖書の教えに関するブログ

カテゴリ: ビル・ジョンソン

 
 キリスト教界には、サタンがアダムから地球の支配権をだまし取ったという教えがあります。
 
 以下はその事例ですが、この教えは正しいのでしょうか?
 
 
1.神はアダムに金、銀、動物を与え、アダムにその支配権を与えました。(創世記1:28)
2.アダムが最大の違反を犯し、サタンにその支配権を渡してしまったので、サタンがこの世の神になりました。(2コリント4:4)
 
 

アダムが造られたとき、彼は地球を支配する立場に置かれた。しかし、誘惑に屈したことで、彼はサタンの支配下に置かれ、彼が持っていた支配権は征服者に移った。こうしてサタンは『この世の神』になった。彼は、アダムが当初与えられた地球に対する支配権を奪った。
 
 
 
支配権に関する聖書の記述
 
 しかし、私たちはこう考えるべきだと思います。
 
①神はアダムに地上の支配権を丸投げしたわけではない
(神は支配権を手放したのではなく、アダムに委ねただけ)
 
②それゆえサタンは、地上の支配権をアダムから奪ったわけではない
(支配権は神が持ちつづけていたので、サタンは奪えなかった)
 
 
 以下の箇所はこれらの見解が正しいことを裏付けています。
 
 
1歴代誌29:1112 
主よ。偉大さと力と栄えと栄光と尊厳とはあなたのものです。天にあるもの地にあるものはみなそうです。主よ。王国もあなたのものです。あなたはすべてのものの上に、かしらとしてあがむべき方です。12 富と誉れは御前から出ます。あなたはすべてのものの支配者であられ、御手には勢いと力があり、あなたの御手によって、すべてが偉大にされ、力づけられるのです。
 
詩篇24:1
地とそれに満ちているもの、世界とその中に住むものは主のものである。
 
1ペテロ4:11
栄光と支配が世々限りなくキリストにありますように。アーメン。
 
 
 1ペテロ4:11で「支配」と訳されているクラトスの意味は、次のとおりです。
 
 「dominion:支配権strength:強さ、power:力、権力
 
 それゆえ上記の聖句から、栄光や支配権がキリストの手から離れたことがないことがわかります。
 
 
●あとがき
 
 ビル・ジョンソンも、冒頭に挙げた教えと同じことを「天が地に侵入するとき」(原版:p30~p31)で述べています。
 
 ビル・ジョンソンは、ルカ4:6の「それは私に任されている」というフレーズを根拠に、サタンが地上の支配権を持っていたと主張しています。
 
 
ルカ4:67 
こう言った。「この、国々のいっさいの権力と栄光とをあなたに差し上げましょう。それは私に任されているので、私がこれと思う人に差し上げるのです。ですから、もしあなたが私を拝むなら、すべてをあなたのものとしましょう。」
 
 
 この解釈の基本的な誤りは、「偽りの父」であるサタンの言葉が正しいと考えている点にあります。
 
 しかし、先に挙げた箇所にあるとおり、地上の支配権が神の手から離れたことはありません。

 ヨブ記1章を見ればわかるとおり、サタンは神の許可なくして一人の人間にすら手出しできませんでした。
 
 そのことからも、サタンに地上の支配権などないことがわかります。
 
 2コリント4:4の「この世の神」については、次のサイトが詳述しています。


 終わり

 前記事ビル・ジョンソンの矛盾で述べたとおり、ビル・ジョンソンは、超自然的に病が癒やされる場合とそうでない場合がある理由について、「わかりません」「ミステリー」と述べていますが、聖書はどう言っているのでしょうか。
 
●神の善性 

 新共同訳のマルコ1018にこうあります。
 
なぜ、わたしを『善い』と言うのか。神おひとりのほかに、善い者はだれもいない
 
 これは、「神の善性/goodness of God」という性質について述べています。  
 
*神の善性についての詳細はコチラへ:http://www.kanazawabbc.org/attribute_of_god/1128/  

 創世記131は、被造物が神の善性を映し出していたことを示しています。
 
神はお造りになったすべてのものを御覧になった。見よ、それは極めて良かった
 
 この聖句について、ジョン・マッカーサーはこう説明しています。
 
「被造物には、いかなる瑕疵も手落ちもなかった。創造のわざはあらゆる意味で、完全であった。それぞれの被造物は、善であり完全なる創造主の栄光と知恵を表していた。」 (マッカーサー・バイブルコメンタリー:P11P12) 

 人間も含めて、すべての被造物が善であり、邪悪な性質がなかったということです。
 
 
●人間の罪による被造物の堕落
 
 しかし人が罪を犯したことによって、被造物の性質に甚大な悪影響が生じました。
 
土地はあなたのゆえにのろわれてしまった。土地は、あなたのために、いばらとあざみを生えさせ・・・ついに、あなたは土に帰る。あなたはそこから取られたのだから。あなたはちりだから、ちりに帰らなければならない。」(創世記31719 
 
 
 グルーデムは「聖書に基づいた政治」の中で、次のように説明しています。
 
「この箇所での『いばらとあざみ』という表現は一種の詩的なもので、地球の美しさや有用性が変質し、破壊や病気、また死さえももたらす様々なのものが生じたことを表している。」(P320~P321) 
 
 ローマ512には、
 
「このようなわけで、一人の人によって罪が世に入り、罪によって死が入り込んだように、死はすべての人に及んだのです(新共同訳)
 
 とあり、罪のゆえに病や死が世界と人類に及んだと述べられています。
 
 
 ローマ81922は被造物ついて、被造物は虚無に服しています」と言ってています。 
 
 この意味についてマッカーサーは、こう説明しています。
 
虚無とは、目的や目標を達成できなくなったことを述べている。人間の罪のゆえに、神は宇宙を呪った(創世記31719)。今や被造物には、神の当初の目的を果たしている部分は一片もない。」(P1532)
 
 被造物は、人の罪のゆえに大きく歪んでしまったのです。
 
 
●解放の計画
 
 しかし、そこからの解放の計画もあります。ローマ81920にこうあります。
 
被造物は、神の子たちの現れるのを切に待ち望んでいます。
被造物は虚無に服していますが・・・同時に希望も持っています。
 
 
 この箇所の「神の子たち」とは、携挙のときに栄光の体に変えられたクリスチャンのことを指しています(第一コリント155152)。

 被造物はその時が来るのを待ち望み、「希望」を持っているのです。
 
 また世の終わりには新天新地がもたらされ、死がこの世からなくなります(黙示録2114)。
 
 それまではクリスチャンも含めて、人は病になる可能性から逃れられません。
 
 
●癒しは神の御心による
 
 神が超自然的に病気癒やか否かは、神の主権的御心しだいです
 
 祈りによって癒やされることが御心なら、そのようになりますし(第一ヨハネ514)、そうでない場合は、誰が祈っても癒やされません(第二コリント1289)。
 
 ビル・ジョンソンは、これらのことを認める必要があるのです。
 
 しかしビル・ジョンソン「ほかの福音を語る」で説明したとおり、彼は癒やしが起こらない福音は福音ではないと言っています。
   
 病や癒やしに関する教えが正しく理解されることを願うばかりです。
 
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 クリスチャン・トゥデイの記事を見る限り、ビル・ジョンソンは未だに多くの日本人クリスチャンたちに信奉されているようです。彼の問題点を簡単に述べておこうと思います。以下は、「預言の霊を解き放て」というビル・ジョンソンの著書の引用です。

 
引用元:Releasing the Spirit of Prophecy(原本P31~P32より)

Ephesians 2:10 says,“For we are His workmanship, created in Christ Jesus for good works, which God prepared beforehand that we should walk in them.”Works cannot save us, but without the fruit of good works in our lives, we lack the evidence that identifies us as new creations in Christ. 
 
エペソ210には、「私たちは神の作品であって、良い行ないをするためにキリスト・イエスにあって造られたのです。神は、私たちが良い行ないに歩むように、その良い行ないをもあらかじめ備えてくださったのです」とあります。行いによって人は救われませんが、人生に良い行ないが見られないなら、私たちはキリストにあって新しく造られた者としての証拠に欠けているのです
 
What are these good works? It’s too easy to reduce Jesus’ teaching to what is humanly possible. While we love to feed the poor, clothe the naked, and visit those in need (such acts of kindness are essential expressions of the Christian life),we refuse to let them satisfy that internal drive for effective service. He specifically used the term “good works” to describe the miracles, signs, and wonders He performed.
 
これらの良い行ないとは、何のことでしょうか。イエスの教えを割り引いて、人間的に可能なこととして解釈するのは簡単なことです。貧しい人を助け、裸の者に着る物を与え、困っている人を訪問することを大切にする傍ら(クリスチャン生活にはこれらの慈善活動が必要不可欠です)、私たちは効果的な奉仕のための内的必要を満たすことを拒んでいないでしょうか。パウロは「良い行ない」という言葉を使いましたが、この言葉はパウロが行っていた奇蹟やしるし、不思議を表しているのです。(強調はダビデ)
 
 
●問題点
 
 上記のようにビル・ジョンソンは、エペソ210の「良い行ない」とは、自身が強調しているしるしと不思議のわざのことだと教えています。この解釈が正しいかどうか、念のために検証しましょう。
 
 「良い行ない」と「しるしと不思議」を入れ替えて、エペソ210を作ってみます。
 
私たちは神の作品であって、しるしと不思議行なうためにキリスト・イエスにあって造られたのです。神は、私たちがしるしと不思議に歩むように、そのしるしと不思議をもあらかじめ備えてくださったのです
 
 すごい聖句が出来上がりました。これが正しいなら、クリスチャンがしるしと不思議を行わない場合、「良い行ない」をしていない不毛なクリスチャンということになります。
 
 また、しるしと不思議を行わないクリスチャンには、あらかじめ「良い行ない」が備えられていないことになります。
 
 そしてビル・ジョンソンの言葉を使うなら、「キリストにあって新しく造られた者としての証拠に欠けている」のです。つまり、しるしと不思議を行わないクリスチャンは、救われていることが危ういというのです。
 
 これは極めて極端な考え方だと思いますが、これが彼の考えです。
 
 
●自己矛盾
 
 しかし実はビル・ジョンソンの教えには、大きな自己矛盾があります。同じ著書(原本)のP126P127で、次のように述べています。
 
At Bethel we’ve now collected several testimonies of babies who were resurrected and safely delivered after having been confirmed dead in the womb by doctors.The story we don’t often tell is that, some years ago, the wife of one of our elders had a baby who died in the womb.We prayed and felt we had a word from the Lord that it would live.We prophesied life over the baby. But the baby was born dead, and there was no resurrection. It rocked the whole Church.
 
ベテルでは、医師らによって死亡が確認された赤ちゃんが蘇り、無事生まれてきたという証を、いくつか束ねました。教会では余り語られない証として、次の話があります。数年前に、ある長老の奥さんの胎児が子宮内で亡くなりました。私たちが祈ったところ、主からその胎児は生き返るという言葉があったと感じました。私たちは胎児に向かって生きるように預言しましたが、赤ちゃんは死産でした。蘇生は起きませんでした。このことは教会全体を揺るがしました。
 
We also see cancer healed all the time in Redding and have a promise from God that we’re passionately pursuing to create a cancer-free zone. But over the years, some of our dearest friends and family, including my own father, have died from cancer. In these situations, we did everything we knew to do.We prayed, fasted, prophesied, and declared the word of the Lord.
 
またレディング市ではいつも癌の癒やしを見ており、神からの約束があって、私たちが熱心に無癌地帯の形成を追い求めるようになると言われています。しかし過去数年において、私たちの親愛なる友人たちや、私自身の父を含む家族らが癌で亡くなりました。それらの状況において、私たちは知っていることをすべて行いました。祈り、預言し、主の言葉を宣言しました。
 
In the end, we had to make a choice regarding what we were going to believe about God in the face of this contradiction.We had to come back to the truth that the problem was still on our end. The problem is never on God’s end.
 
最終的に私たちは、この矛盾の只中で、今後、神についてどのように信じたらよいのかを選択しなければなりませんでした。私たちは、問題は自分たちの側にある、という真実に立ち返ることを余儀なくされました。問題が神の側にあるということは絶対にないからです。
 
                                (引用終わり)
 
 このように、一方ではしるしと不思議はクリスチャンであることの「証拠」だと言いながら、自分の身の回りではそのしるしと不思議が起きなかったために、元・牧師であった実父や身近な人々が病気で亡くなるという、矛盾に満ちた体験をしています。
 
 この矛盾に関して、同書P127ビル・ジョンソンはこう述べています。
 
Ultimately, we don’t understand all the reasons that things turned out the way they did. Correctly responding to that kind of mystery is one of the most difficult challenges in the Christian life.
 
究極的には、状況がこのように展開した理由は私たちにはわかりません。この種のミステリーに正しく応答することは、クリスチャン生活において最も難しい問題です。
                               
                               (引用終わり)
 
 このように「わかりません」や「ミステリー」で済ませており、聖書を徹底して解き明かして答えを見出そうとはしていません。
 
 ビル・ジョンソンは、癒やしに関する聖書的な原則を自分自身でも理解できておらず、自分が教えていることの中に大きな矛盾があることに気づいていながらも、それを教え続けているわけです。
 
 これでは、彼の教えを信じたクリスチャンたちは混乱するばかりではないでしょうか。実際、その矛盾はベテル「教会全体を揺るがしました。」
 
 しかし日本の教会指導者の一部は、このような教えをする人物を、今年もわざわざ東京に招き、多くのクリスチャンたちは聖会に参加して彼を称賛しています。
 
 ひとりでも多くのクリスチャンに、ビル・ジョンソンの問題点に気づいてほしいと思うばかりです。
 
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 以下にリンクした動画(音声のみ)は、2010815日の説教です。ビル・ジョンソンは、病を許容する福音は「ほかの福音」だと教えています。
 
 以下にダビデによる聞き取り翻訳を添付しますので、ご確認ください。
 
 
 
 へブル書1章は、神は昔、預言者たちによって語ったが、今はイエスによって語ると教えています。どういう意味でしょうか?預言者のメッセージは昔の人たちのためで、イエスのメッセージはこんにちの私たちのためだということです。
 
 この変化を受け入れないなら、ミニストリーにおいて、現代のための油注ぎを継続的に再生することはできません。昔のマナのような油注ぎしか得られません。
 
 イエスの公生涯は、苦しみや痛みを抱えたすべての人に対応しました。主は彼らに仕えました。従うべき基準はこれだけです。私は、病を許容する神学を拒否します。
 
 問題は次のことです。些細な問題です。
 
 パウロはガラテヤ書で言っています。たとえ私であろうと、御使いであろうと、ことなる福音を宣べ伝えるなら、拒否すべきだと。これは驚くべき言葉です。御使いが現れて、間違った基準をもたらすというのです。ほかの福音を語ると。だからそれを拒否しなさい。たとえ私、パウロが戻って来て、考えが変わったと言っても、取り合ってはいけませんと教えています。
 
 福音とは何でしょうか?イエスの福音、御国の福音です。
 
 OK。わかりやすく説明しましょう。パウロは肉体のとげについて述べています。従来これは多くの人によって、病のことだと解釈されてきました。神がそれを許容し、神がもたらしたのだと。これは「ほかの福音」です。イエスはそういうふうには言いませんでした。教えませんでした。パウロはその基準を変えてはいけないと言っています。・・・・(終わり)
 
 
●日本の現状
 
 20161月に、日本の教会指導者たちの一部が、このような考えを持つ説教者を再び東京に招きます。言うまでもありませんが、「ほかの福音」を語っているのはビル・ジョンソン自身です。
 
 彼の教えに乗らないよう、くれぐれもご注意ください。
 
 
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 詳細は知らされていませんが、年明けにビル・ジョンソンが再び日本で講演するらしいので、彼に関する記事を投稿します。
 
 今年の年始の集会をクリスチャン・トゥデイが掲載していたので、それを検証します。
 

●ビル・ジョンソンの説教の要約
 
マタイによる福音書10章8節を開き、イエスは病人のために祈れと言っているのではなく、「治せ」と言っていると指摘するビル牧師。神の命令は大抵難しく、人間の力だけでは絶対に不可能なことを神は語ってくる。しかしそれは、神に頼るしかないことを教えるためであり、神の力に不可能はないことを私たちが知るためなのだ。
病人を治せと、神は「あなた」に言っている。もし一回ではだめだとしたら、もう一度やりなさい。神は「あなた」を通して神の偉大な御業をなされることを約束として与えてくださっている。・・・
                                (引用終わり)
 
引用元:クリスチャン・トゥデイ:201519日号
 
 
●問題点
 
マタイ1058
5 イエスは、この十二人を遣わし、そのとき彼らにこう命じられた。「異邦人の道に行ってはいけません。サマリヤ人の町にはいってはいけません。
6 イスラエルの家の滅びた羊のところに行きなさい。
7 行って、『天の御国が近づいた。』と宣べ伝えなさい
8 病人を直し、死人を生き返らせ、らい病人をきよめ、悪霊を追い出しなさい。あなたがたは、ただで受けたのだから、ただで与えなさい。
 
 
 ビル・ジョンソンは「神はあなたに言っている」と語っていますが、
 
 聖書は「イエスは・・・彼らにこう命じられた」と述べています(5節)
 
 「彼ら」とは十二弟子のことであって、現代の私たちではありません。
 
 
 もしビル・ジョンソンの言うことが正しいとするなら、
 
 現代のクリスチャンは、誰も異邦人伝道ができないことになります(5節)
 
 それゆえ日本人という異邦人のところに来て、宣教活動をしているビル・ジョンソン自身の行動にも矛盾が生じることになります。
 
 そして私たちは全員、「イスラエルの家の滅びた羊のところに」行かなければなりません。

 神が「あなた」に命じているからです。
 
 そしてイスラエルに行っても、「サマリヤの町」を訪れることができません。
 
 つまりこの説教は、話にならないほど馬鹿げた曲解に基づいているのです。 
 
 この箇所の命令は十二弟子に対するものであって、私たちには適用できません。
 
 ビル・ジョンソンは聖書箇所の文脈を無視し、

 解釈もせずに説教を語る”なんちゃって説教者”です。
 
 自分が言いたいことを主張するために、聖書を利用しているにすぎません。
 
 彼の著書や説教は、こうした曲解が満載です。
 

●留意すべき点

『心を尽くし、思いを尽くし知力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。』これがたいせつな第一の戒めです。マタイ223738
 
 主イエスは、神を愛する一環として知性を用いるように勧めています。
 
 知性を用いて聖書を理解し、偽りを語る説教者に騙されないよう注意しましょう。
 
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