ダビデの日記

自分が学んだ聖書の教えに関するブログ

カテゴリ: 科学と聖書/神の栄光



 先日、質問者Mさんから新たなご質問をいただきました。
 
 Mさんの真摯な姿勢を嬉しく思います。
 
 今回の初めのご質問は以下のとおりです。
 

私は理学部生物学科の学生なのですが、進化論等を学修の中でどう扱えば良いでしょうか? また進化論についてですが、神が進化したように見えるように創造したという可能性はないでしょうか?(進化論には圧倒的な証拠があるようなのです。)
 
 
 この質問に詳しく答えた場合、膨大な回答になると思います。
 
 それゆえ、オンライン上に存在する福音主義的創造科学サイトをご紹介することにさせていただきたいと思います。
 
 
 
 このサイトにある「AUDEOVIDEOを開きますと、例えば「進化論の偽りと主の創造」と題された安藤先生の講演の音源が張り付けてあります。
 
 それに加えて、講演のレジメがPDF見られるようになっています。
 
 上記の講演の中で安藤先生は、こうおっしゃっています。

自然法則を主が定められました。法則が(初めに)あって、主が法則に従われたのではないんです!」(2150~)

 科学と信仰の関係を考える上で、この原則に立つことは重要だと思います。
 
 この他にも、以下のように様々な音源や動画がありますので、直接ご覧いただければと思います。
 
 いのち
 
 進化論一考
 
 創世記
 
 キリスト信仰と科学
 
「創造と福音」シリーズ
 
 
動画
 
 いのち
 
 天地万物の創造
 
 ノアの大洪水
 
 進化論一考
 
 キリスト信仰と科学
 
 
 
 
中高生向け
 
その他
 
 
その他の福音主義的創造科学サイト
 
 
 一例:NL34「場違いな化石」http://genesisjapan.com/NL31-40/NL34/news34.htm
 
 

 米国の福音主義創造科学ミニストリーAnswers In Genesisの日本語版です。  
 
 トップページには次のように書かれています。
 
クリスチャンが自分の信仰を弁明できるように、また、イエス・キリストの福音を効果的に宣べ伝えることができるように、特に聖書の創世記の書に対して投げかけられる疑問・質問に対して答えを提供することに焦点を当てています。
 
 
 つづく

 
 火星探査機「インサイト」が火星上でとらえた「風の音」の動画です。
 
 111くらいから聞こえますので、ぜひ聞いてみてください。
 
 ごく普通の風の音ですが、ガッカリしないでくださいね。





低音のごう音が響き続けるような状態となっている。この音はインサイトの気圧や地震観測用のセンサーが今月1日に探知した。

ソラーパネル上部を吹く風が探査機周辺や空中にもたらしている振動をとらえたとみられる。当時の風は北西から南東への方向で、秒速は5~7メートルと推定された。

インサイトが入手したデータ解析などを担うNASAのジェット推進研究所(JPL)の担当者は、風の音をとらえたことは想定外のごほうびと形容。その上でインサイトの使命の1つは火星上の運動の観測とし、音波によってもたされる運動も含まれるとした。

NASAはこの音を聞けるサイトも公開した。良く聞き取るためにヘッドホンや超低音域の再生スピーカーの利用を勧めている。

インサイトのセンサーは風のうねりから気圧や地震の関連データを収集出来るよう設計されている。その震動などが地震と同じ効果を持つのかなどを測定する。科学者は地震観測用のセンサーを通じて得た震動のデータを分析し火星の内部構造の一層の把握に役立てることが出来る。

インサイトは2020年11月24日まで静止した状態で、火星の至る所で発生しているとされる振動の探知などに当たる。




 上記のURLをクリックしていただきますと、NASAの火星探査機「キュリオシティ」が撮影した360度のパノラマ画像が見られます。
 
 その画像をクリックしたりドラッグすると、ローバーの周辺を360度みわたすことができます。
 
 火星は地球に似た惑星だと言われ、生命の存在すらも考えられていますが、この画像を見る限り、地球は特別恵まれていると思わざるを得ません。
 
 
創世記1:12
それで、地は植物、おのおのその種類にしたがって種を生じる草、おのおのその種類にしたがって、その中に種のある実を結ぶ木を生じた。神は見て、それをよしとされた。
 

 地球に注がれた神の慈しみに感謝します。
 
 おわり


 幾つかのクリスチャン・サイトを見てみますと、ヨハネ17章の大祭司の祈りの意味が誤解されていることに気づかされます。
 
 一部の方々は、大祭司の祈りが叶えられておらず、地上の教会が分裂しているために人々がキリストを信じないと主張しておられます。
 
 確かに、その一致によって「世が信じるため」だと主は言っておられますが、「世が見て信じるため」とは言っておられません。
 
 聖書が教える信仰は、もともと目に見えないもの信じることなのです(へブル111)。

 目に見えるものを信じるのに、信仰は要りません。

 この記事では、大祭司の祈りにおける「一つ」という言葉が地上の教会の可視的一致を指すか否かについて考えます。
 
 
不可視的な一致
 
ヨハネ17:21
それは、父よ、あなたがわたしにおられ、わたしがあなたにいるように、彼らがみな一つとなるためです。また、彼らもわたしたちにおるようになるためです。そのことによって、あなたがわたしを遣わされたことを、世が信じるためなのです。
 
ヨハネ17:22
またわたしは、あなたがわたしに下さった栄光を、彼らに与えました。それは、わたしたちが一つであるように、彼らも一つであるためです。
 
 
 これらの箇所に言及される御父と御子の一致は、可視的なものでしょうか?
 
 その答えを知るには、次の聖句が役に立つと思います。
 
 
ヨハネ14:11
わたしが父におり、父がわたしにおられるとわたしが言うのを信じなさい。さもなければ、わざによって信じなさい
 
 
 もし御父と御子の関係が可視的であったなら、主イエスはそれを「信じなさい」と言わず、「見ればわかる」と言われたはずです。
 
 また、その一致を証明するために「わざ」を行う必要もなかったでしょう。
 
 つまり、二位格間の一致は不可視的なものなのです。
 
               ***

 次に、教会の一致について述べたいと思います。

 大祭司の祈りの中で言及される教会の一致もまた、御父と御子の一致と同じ様態でなければなりません。
 
 ヨハネ172122の引用において太字で強調した「ように」の部分には、カソスというギリシャ語の接続詞が使われています。
 
 カソスの意味は、「ちょうど~のように、~とおりに」です(織田昭著「新約聖書ギリシャ語小辞典」P282
 
 ですから、御父と御子の一致が不可視的であるのと同じように、教会の一致も不可視的でなければなりません。
 
 つまり、大祭司の祈りは、教会組織や教理的な分裂と無関係な次元における一致を扱っているのです。
 
 
イエスの祈りは常に叶えられる
 
 次に明確にしておきたいのは、キリストの祈りの効力についてです。
 
 大祭司の祈りが地上の教会の可視的一致のためだったとしたなら、以下のキリストの言葉は嘘になってしまいます。
 
 
ヨハネ11:42
わたしは、あなたがいつもわたしの願いを聞いてくださることを知っておりました。
 
 
 主イエスはこの箇所で、父なる神がいつも主イエスの祈りを聞いてくださると述べておられます。
 
「いつも」と訳されているのはパントーテというギリシャ語で、「いつでも、常に、どんな時にも」という意味です(織田昭著「新約聖書ギリシャ語小辞典」P434)
 
 ですから、父なる神は主イエスの祈りを100%叶えたはずです。
 
 それにもかかわらず地上の教会が分裂状態にあるということは、大祭司の祈りは可視的一致に関する祈りではなかったのです。
 
 
●まとめ
 
 大祭司の祈りの中で扱われている教会を神学的術語で表現すると、「不可視的な教会」または「普遍的な教会」と呼ばれるものです。
 
 私たちが所属するところの地域教会ではありません。
 
 つまり主イエスは、地上で分裂している諸教会が一つの組織になるように祈ったわけではないのです。
 
 各々の信者が霊的な次元で繋がっており、「一つの群れ」であるようにというのが、祈りの目的でした。
 
 この「一つの群れ」については、ヨハネ10章においてすでに語られていました。
 
ヨハネ1016
わたしにはまた、この囲いに属さないほかの羊があります。わたしはそれをも導かなければなりません。彼らはわたしの声に聞き従い、一つの群れ、ひとりの牧者となるのです。
 
 
 このヨハネ1016の「一つの群れ」は、ヨハネ172122「彼ら」(教会)と同じ人々を指しています。 
 
 これについては、パウロも同調しています。
 
 
1コリント12:13
なぜなら、私たちはみな、ユダヤ人もギリシヤ人も、奴隷も自由人も、一つのからだとなるように、一つの御霊によってバプテスマを受け、そしてすべての者が一つの御霊を飲む者とされたからです。
 
 
 この聖句における「ユダヤ人もギリシヤ人も、奴隷も自由人」は、ヨハネ1720における「彼らのことばによってわたしを信じる人々」と同じ人々です。
 
 つまり、大祭司の祈りにおける教会は、御霊によって神の国に入った真の信者の群れを指しているのです。
 
 所属する教団・教派で区別された群れとは別物です。
 
 地上の教会は確かに教理的・組織的にバラバラです。
 
 しかし、一つの御霊を受けたことにより、御体なる教会はすでに「一つのからだ」「一つの群れ」になっているのです。
 
 ですから、ヨハネ17章の大祭司の祈りは、その当初から聞かれているのです。
 
 現代の教会が分裂状態にあるからと言って、大祭司の祈りが叶えられていないわけではありません。
 
 おわり

ニューヨーク・タイムズによると、オーストラリアの新首相に8月24日、ペンテコステ派の信者であるスコット・モリソン氏が選出された。ペンテコステ信仰を持つ首相としては豪州初となった。
 
米国の聖霊派ニュースメディア「カリスマ・ニュース」によると、モリソン氏とその家族は、シドニー郊外にあるペンテコステ教会「ホライゾン・チャーチ」(アッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団所属)のレギュラーメンバーだという。
 
モリソン氏が主の栄光とオーストラリアのために、力強く用いられますように!
 

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